香山リカ松山大学講演会「精神科医の私が社会と政治を語る理由」
この日の講演は、題名にあるように、政治の専門外の者が政治を語る注1)必然性を自らのライフヒストリーを通して明らかにするというものであった。
1986年に施行された男女雇用機会均等法は、それまで医学界においても半ば常識化されていた男女差別を変えていく一つの機会となった。香山さんが選択した精神科医は、そうした性差別が横行する医学界において比較的女性が受け入れられる職場であったという。そのことが彼女が精神科医を志す切っ掛けになったようだ。
1)プラトンは対話篇『プロタゴラス』で、「徳は教えられるか」というテーマで当代随一といわれたソフィストの論客、プロタゴラスとソクラテスとを対決させている。当初、「徳は教えられない」という持論で挑んだソクラテスが主張した論拠の中に、「政治の専門外の者が政治を語る」のはなぜかを考えさせる考察がある。靴屋や船頭が一人前になるには、それぞれその道の専門家から教えを受け学ばなければならない。だがこうした人たちでも「政治」については特にその筋の専門家から修業を受けなくても各人が立派にポリスの進むべき道について発言することができるし、そうしなければならない。我々が身につける徳もまたそうした性質のものだ、と説明する件がある。
もっとも、この議論の結末では、ソクラテスとプロタゴラスがそれぞれ当初示した前提が覆り、それぞれ反対の結論を持つに至るという劇的な展開がなされる。その点で、常にソクラテスが論敵を打ち負かして終わるというプラトンの他の対話篇には見られない特徴となっている。
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時代はネオアカブーム→右傾化へ
さて、1980年代の日本といえば、フランス思想界を中心に欧米で興盛を誇ったポスト・モダンの影響をうけ、いわゆるネオアカ(Neo Academism)ブームの中、田中康夫の『なんとなくクリスタル』が文芸賞をとることに象徴される個人主義的、価値相対主義が蔓延する時代注2)となっていく。曰く、「岩波新書1冊を読んで得られる感動も、ブランドものバックを使って得られる感動も同じだ」と。90年代初頭のバブル崩壊期まで医師として病院勤務に忙殺される一方、心は上記傾向を多分に胚胎するサブカルチャーに魅かれていた。とはいえ、医師として勤務しながら、周りに戦争体験を語り日本の平和の貴さを語る人たちに囲まれた日々でもあったという。
香山さんがそれまでの生活のあり方を否応なく見直しを迫られる事件が1997年を境に起きたという。まず、山一證券、北海道拓殖銀行の倒産(特に北海道出身の彼女にとって衝撃の度合いは強かった)、そして毎年自殺者が3万人を超える時代となったことであった。この間、1995年には阪神淡路大震災やオーム真理教事件が起きるのだが、彼女にとっては、1997年の以下の2つの出来事がより衝撃的であったという。
①戦争を賛美するゴーマニズム宣言(漫画家小林よしのり)
②新しい歴史教科書をつくる会の発足
等に見られる、太平洋戦争を賛美し、靖国神社を持ち上げる歴史修正主義的傾向が世相の中に大きく躍り出たのがそれであった。
こうした動きは、2000年代の改憲機運の興隆につながっていく。世論調査で初めて改憲の必要性を訴える声が護憲を上回る。2002年日韓合同で開催されたワールドカップでは日の丸のデザインがグッズに援用されるなどプチ・ナショナリズムともいえる動きが本格化し始める。
2) 後から考えると、こうした知性の脱構築を唱え専らその相対化を主張するポスト・モダンといわれる思潮は、90年代後半顕著となる歴史修正主義的傾向、右傾化など反知性主義への道を掃き清めたという見方もできよう。少なくとも、こうした傾向と対決する力を持ちえなかったことは疑いない。香山さんがのちにこうした思想と決別するに至った所以であろう。
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ナチスの時代から精神科医のあり方を問う
香山さんがこの頃、頭が働く10年の間に「個人の残り時間」と「社会の残り時間」について考えさせられたという。
そのことは、医療の現場から見えてくる社会の病理を突き詰める姿勢への変化をもたらすことになった。そんな、香山さんが、まず注目した事実がある。ナチスの時代、「精神障害者を安楽死させる計画」に多くの精神科医が協力したという歴史的事実であった。患者たちに「灰色のバスがやってきた」→「ピクニックに行くよ」と誘い、病院内のガス室へ追いやった数はなんと20万人を数えるという。これがガス室を使った最初の実験台となり、やがて600万人といわれるユダヤ人虐殺への水路を開いたのである。牧師の告発で、この計画が中断された後にも、驚くべきことに、この「実験」を自発的にやり続けた医師たちがいた。香山さんは、精神科医が「医学の進歩のため」の名目の下に人の道を踏み外しながらその自覚を持てないでいることに憤然たる気持ちを抱くことになる。
日常臨床の現場からも、医学界の外にある社会の病理が顕著に感じられるようになったのは、2000年前後を境に会社員のうつ病が急増したことだという。おそらく、この時代多くの会社で採用された成果主義注3)が人々の心を蝕むことになったのだと思われる。こうなると、医療、特に精神科の現場は社会の現実とよりダイレクトにつながっているのがわかる。
原理的思考ができる知性も必要
さて、香山さんは、医療の現場から社会の現実をみて感じられる社会の病理に対し、それを治すには知性に裏付けられた原理的思考が求められる局面があることに気づかされたという。例えば、現在問題になっているヘイト・スピーチに対しては、攻撃される当事者の問題として放置しておくことはできない。「なぜ、当事者でないのに関わるのか」と訊かれれば、「そんなことを許しておく社会が嫌だから」、自分だけのためにではなくても「誰かのために頑張る」ことも必要だからという。そこには、ポスト・モダン思想でその権威を失墜させられたと思われた知性が必要注4)とされるのである。
4) 攻撃されている当事者でないのに、なぜ反撃するのか。この問題は、アダム・スミスが『道徳感情(判断)論』でテーマとした「公平な観察者」視点を想起させる。スミスは、他者(当事者)に対する共感を当事者間の視点でのみ考察するのではなく、当事者とは直接の利害関係を持たない観察者の視点から考察する。その意味で公平'impartial'な、しかしそれでいて事情に精通した'versed with the situation'観察者'Spectator'からみて当事者の行為や感情の妥当性が判断されるのである。観察者は、もし彼(或いは彼女)自身が「当事者の立場におかれていたら」という想像上の立場の交換を通して、当事者の感情や行為を是認できる場合に深い共感が生じるのだという。そうした共感に基づく観察者(=第三者)の行為が、当該社会の道徳的腐敗を防ぐことになる。
←開会のあいさつを行う主催者代表
(文責 HP担当M.,T後日加筆訂正の可能性もあります)